歴史、時代小説

竜馬がゆく

by 七色カラス on 4月.15, 2010, under 司馬遼太郎, 歴史、時代小説

竜馬がゆく
司馬遼太郎 著, 1998年 文春文庫

1975年6月に刊行された文春文庫『竜馬がゆく』の新装版。

初出は、産経新聞 夕刊連載 昭和37年(1962年) 6月21日 ~ 昭和41年(1966年) 5月19日 全1,335回

「坂本龍馬って こんな人だったのか??」、「何か変だな?しっくりこないな。」という何か違和感のようなものを感じながら読み進んでいくうちに、いつのまにか司馬遼太郎氏の描く坂本竜馬に惹き込まれてしまっている。
人たらしの竜馬のとりこになってしまっていた。
もうそうなると、司馬遼太郎氏の描く坂本竜馬に会うのが楽しくて嬉しくて本を開くようになってしまう。

さすがは「坂本龍馬」本のスタンダード的存在だけあって、史料に詳しくあたっているのがよくわかる。その上での細かい描写に引きずり込まれてしまう。

だからこそ逆に、小説「竜馬がゆく」の竜馬が、まるで本当の坂本龍馬像であるかのごとく、脳ミソに刷り込まれてしまうのだろう。

司馬遼太郎氏の歴史の解釈や龍馬史の描き方を批判する方も当然いらっしゃると思う。
しかし、この「竜馬がゆく」が最初に発表された1962年(昭和37年)代 当時と、今現在では、世の中の情報量が違うし、「坂本龍馬」研究にしても50年も経てばずいぶん新発見もあるでしょう。

だから、最初の発表から50年近く経った21世紀に生きている人間が、小説としての「竜馬がゆく」を「あそこが違う」、「ここが違う」と揚げ足を取るような批判をしても意味はないと思う。
むしろ、50年も前に、こんなに丹念に坂本龍馬やその周辺の歴史を調べ上げて書いている小説という意味で、やっぱり凄いんだと思う。

龍馬をとりまく幕末の重要人物についても、その生い立ちや明治維新後の動静、活躍、役職などを簡潔に繰り返し解説を挿入してくれているので、幕末の歴史にうとく、物覚えの悪い私でもわかりやすかった。

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穴のあいた大風呂敷、後藤象二郎 「竜馬がゆく」より

by 七色カラス on 3月.21, 2010, under 司馬遼太郎, 歴史、時代小説

「竜馬がゆく」 司馬遼太郎 著 より、後藤象二郎という人物の描き方を通して、司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」のスポット的書評を書いてみます。

この後藤象二郎という人物の評価は、後藤象二郎 – Wikipedia などをみると、一方では幕末の雄とされ、一方では「将来の総理大臣(武市半平太)を殺した者」という悪評もあって、評価は大きく分かれる。

その後藤象二郎という人物が、小説「竜馬がゆく」で活躍し始めるのは、物語も終盤、土佐藩が坂本龍馬を支援する方向に転換し、龍馬が海援隊を組織するあたりから。

小説の中で、後藤象二郎は「穴のあいた大風呂敷」と表現されている。 つまり、言においては、大風呂敷を広げて、大いに景気のいい気勢をあげるが、その行動においては、大雑把で、広げた大風呂敷の大きな穴に、皆はめられてしまうような、そんな人物として描かれている。

例えば、外国商人から、洋式船、軍艦、洋式銃などを購入するときには、気前よく高値で大量に買い付けるようなことをし、手付金を支払ってあとは支払わない。それどころか、それらの支払いに当てるべき藩の金の大半を酒と芸者遊びにつぎ込んでしまうようなことをする。

さらには、その負債の整理は、長崎留守居役(土佐商会の長)に自らが抜擢した岩崎弥太郎に全部ひっかぶせる。弥太郎も大風呂敷の大穴にはめられた一人だ。

それでいて、駆け引きにはめっぽう強くて、柔硬変幻。 また、佐幕派の土佐藩にあって、かつては尊皇攘夷派の武市半平太ら土佐勤王党を弾圧した張本人でありながらも、最終的には、尊王、開化論の思想に方向転換し、明治維新に貢献することになる。

ここに書いたのは、あくまで小説「竜馬がゆく」で読んだ後藤象二郎という人物についての印象だ。 司馬遼太郎氏の人物の描き方に惹き込まれてしまうと、後藤象二郎という、評価が大きく分かれる人物が、大胆不敵でひどく魅力的に思えてしまう。

司馬遼太郎氏の人物の描き方というのが、その人物を小説の中でいかに魅力的に演じさせるか、そして、いかに読み手の側に強烈なインパクトを与えるかという点で、小説「竜馬がゆく」の面白さの一因でもあり、司馬遼太郎氏の小説の魅力の大きな要素なのだと思う。


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「明治」という国家

by 七色カラス on 1月.28, 2010, under 司馬遼太郎, 歴史、時代小説

「明治」という国家
司馬遼太郎 著、日本放送出版協会

NHKスペシャル 司馬遼太郎トークドキュメント『太郎の国の物語』(1989年放送) を改題し書籍化したもの(らしい)

とても読みやすく、わかりやすかった。

表紙を開けて、30ページ近くもあるかと思われる写真や図版入りの口絵にざっと目を通しただけで、司馬遼太郎氏が描こうとしていた幕末、明治維新、明治国家への流れが見えたかのような気になってしまうほど。

それまでバラバラな点だった人物や出来事が、一本の線になったような感覚。

なにしろ、この本を手に取る以前の私の頭の中は、 菜の花の沖』を読んで 、江戸後期におけるロシアの脅威を知り、大河ドラマ『篤姫』の幕末と明治維新、大河ドラマ『龍馬伝』の幕末、NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』の明治国家、の人物や出来事が、私の頭の中でバラバラにぶつかりあっていたのだから。 そのバラバラな点が一本の線でつながったような感覚だ。

明治時代は、1868年から1912年までの44年間 だけれども、この本では、明治10年ごろまでの明治の草創期(あるいは明治22年の明治憲法発布までとも捉えられる)を中心として描き、今日まで続く近代日本の基礎として語れている。

司馬遼太郎氏の言葉をそのまま引用すると:

私がこれからお話しすることは、明治の風俗ではなく、明治の政治のこまかいことではなく、明治の文学でもなく、つまりそういう専門的な、あるいは各論といったようなことではないんです。「明治国家」のシンというべきものです。

とある。
また、別の項では、

私は、明治国家というもの一個の立体物のような、この机の上に置いてたれでもわかるように話したいのです。はじめて出会った外国の人に説明しているような気持で話そうと思っています。

とも書かれている。

まさにそのとおりで、明治時代すべての事柄が書かれているわけではなく、明治の草創期を中心として、明治国家の成り立ちとその道のりを、江戸時代からの遺産も含めて説明している。

面白かったのは、明治維新を成し遂げた新政府に新国家の”青写真”がなかったという章。 明治元年から明治4年ごろまでの話として、
どうゆう政治のポストを設け、役所はどうして、軍はどうして、というのがわからなかった。 わからないからしょうがないといって、明治4年秋、岩倉具視使節団が、欧米を見学に行く。 というあたり。

そして、その新国家の”青写真”を持っていたのは、坂本龍馬だけではなかったかと問いかける。

それから、自分自身、受験勉強の丸暗記というのは無知だなと実感したのは、明治4年の廃藩置県の話。

藩が県に変わるという名称の問題だけではなく、藩がなくなれば藩主(殿様)をも必要としなくなり、それにつかえる藩士・武士(侍)も、一夜にして失業するという劇薬。 その廃藩置県で、武士を失業した侍が、別の職業を生業(なりわい)としながら困窮を乗り越えようという姿が、『坂の上の雲』の冒頭でも描かれた世界を解説されている。

明治維新以前、他のどの国とも違う、孤立した独自の国家であった日本が、明治維新以来の約20年で憲法を発布し、国会を開設した。 その道半ばで、明治10年、11年にかけて、西郷隆盛大久保利通木戸孝允(桂小五郎)という人物を失いながら、明治国家を作り上げていくことが、いかに苦しい道のりであったかということが鮮明に理解できた気がした。

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聞き屋 与平 江戸夜咄草

by 七色カラス on 1月.08, 2010, under 歴史、時代小説

聞き屋 与平
江戸 夜咄草(えど よばなし ぐさ)
宇江佐 真理 著、 集英社

夜な夜な「お話、聞きます」と掲げた机を辻に出し、客の話を聞く男。 聞き屋 与平。 辻占(占い師)と間違われることもあるという。 料金は、客の志でかまわない。都合が悪ければタダでもいい。

ただ客の話を聞くだけ。 そんな不思議な商売、聞き屋。 舞台は、江戸の両国広小路界隈。

何気なく手に取ったこの小説が、面白い! 読みやすい! 一気に読んでしまった! はまってしまった。

NHKの土曜時代劇あたりでシリーズ化してくれないか というような感じ。

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菜の花の沖

by 七色カラス on 1月.03, 2010, under 司馬遼太郎, 歴史、時代小説

菜の花の沖
2000年 文春文庫 (昭和62年に刊行された文庫の新装版)

一人のいじめられっ子の少年が村を抜け出していく、幼いころの名をキッキャ(菊弥)、後の名は、高田屋 嘉兵衛。 裸一貫から、蝦夷地(現在の北海道)、函館(箱館)を基地として、クナシリ島、エトロフ島までへも船を出し、廻船業、水産物問屋業、漁場経営を成功させる江戸時代後期の物語。
NHK でも同名の『菜の花の沖』としてドラマ化されている。

高田屋 嘉兵衛の成功にとって、嘉兵衛の兄弟達の功績、駆け出しの嘉兵衛を預かってくれたサトニラさんこと境屋喜兵衛の息子達の功績も大きかったのではないだろうか。

特に、優れた船頭でもあり商売に長けた弟・金兵衛の存在、商いの面をこの弟に任せることが出来たからこそ、嘉兵衛が冒険者として動き回れた。
同じような関係として、豊臣秀吉と豊臣秀長の関係を思い出した。

この物語の中で、嘉兵衛がただの商人ではない、冒険者としての一面を見せるときの描写にわくわくした。
黄金の日日や、椿と花水木を読んでいるとき同じようなワクワクした気持ちになった。私自身が、どうも、広大な海を渡り、見知らぬ土地へ旅をして、未知の物事に触れるというタイプの物語が好きなようだ。

この物語の中で、もう一人の凄い人、憧れる人とでも言うべき人を知った。
御影屋 松右衛門。  松右衛門帆(後のズックに匹敵)、鋤簾(海底の砂をとる「じょれん」)、石を海中に吊り下げて運ぶ船などの発明者だという。また、材木を海路運ぶときに、貨物である材木そのもので筏(いかだ)をつくり、それに乗って行けばよいではないかという発想を実際にやってのけた人物であるという。この人の言葉として、
人として天下の益ならん事を計らず、碌々として一生を過ごさんは禽獣にもおとるべし
社会の役に立つことこそ大事と言うあたり、現代の起業・創業セミナーなどでも言われていることに通じる。

高田屋嘉兵衛の成功が最も輝いていたとき、運悪く、ロシア船の捕虜となってしまう。 捕虜の身であり、なおかつ一介の商人でしかない高田屋嘉兵衛が、初めての日露外交交渉に臨むことになる。 カムチャツカという異国にありながら、異国の人々ととの間に芽生える友情と信頼。

小説の中では、江戸時代後期の日本の鎖国の考え方や、世界の中におけるロシア事情が詳しく書かれている。 当時の江戸幕府が、蝦夷地へロシアが南下してくるのではないかという危機感を持ちつつ、鎖国体制の中で国際的思考からはるかに遅れてしまっている実情。 このあたり司馬遼太郎氏の記述を読んでいると、およそ100年後を舞台にした同氏の小説『坂の上の雲』につながる日本の国情が見えてくるような気がした。

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